小さな悩み
脾腫による胃の膨張感以外にこれといって症状はないのだが地味に悩まされる問題。
脾臓が大きい握り拳ぐらいあるわけで…
それが物理的にお腹にあるわけで…
とにかく妊婦に間違われる。゚(゚^д^゚)゚。
席を譲られる事もしばしば最初は妊婦じゃないと断る事にしていたが100パーセント相手が居たたまれない顔になるのでその時は妊婦として振舞う事に…
しかし幼稚園では間違われても妊婦のフリする訳にはいかないから、再び相手に居たたまれない顔をさせてしまう。
これさ、言われた側は全然平気なんだけど間違った人は凄く凹むんだよね。
病気の事は言わないから太ったのかも〜みたいに言っておく笑
まあ病気で脾臓が腫れてるんですって言われたらもっと気まずいからね。゚(ノ∀`)゚。
妊娠間違われて否定した時の相手の申し訳なさそうな姿、それが一番キツい‼︎
病院選び!大事!
検診通っていたのに脾腫を気づいたの近所の胃腸科の先生というのはなんだか不安を感じて受けたセカンドオピニオン。
思えば幼い頃の記憶では必ず触診でお腹を触られたのに対してその病院は血液検査して『はい、特に変化ありません。』の繰り返しだったもんね。
元々難病だったものの、自覚症状もなく生きていたわけで。
楽観的な私は病院なんてどこでもいいと思ってた。
でも病院を変えてとても実感。
病院は自分の病気に合わせて選ぶもの。
少し遠くても、少し大変でも通えるなら自分の病気のエキスパートがいるところを選んでほしい。
元の病院を悪く言うつもりはないけれど、でもエキスパートと言われるお医者様はやっぱりエキスパートと呼ばれくして呼ばれているのさ。
私にも幼い子どもがいるから、子育て中、お仕事でなかなか遠い病院はと懸念する気持ちはよく分かる。
でも通うことが大変でも出来る環境ならそれはとても幸運だ( ຶཽ ˙̫̮ ຶཽ )
…おや?サヤコンの様子が…!
子供も生まれドッタバッタしつつ、親になったので3ヶ月に1度くらいは検診に行くように…
数値にはとくに変化はないけれど子供が幼稚園に上がった31歳の頃、胃に異変を感じるように。
なんというかこう…左半身を下にして寝ると苦しい。
ご飯食べた後異常に満腹感が…
思い込みの激しい私は『い、胃がん⁇』と思い近くの胃腸科に駆け込む。
胃カメラの後、エコーを持った先生が少し動揺しながら『よくわかんない臓器あるけどこれ秘蔵だよね⁈大きすぎるよ‼︎主治医に言いなさい。』
と言われ大学病院へ。
主治医には『脾腫だね。しばらくやってないみたいだしマルクしてみましょう。』と言われトラウマの骨髄検査。
次の検診で結果は『…骨髄が繊維化してきてるね。若い女性は珍しい症例だからこれからどうしていくか私だけじゃ決められない。』と言われる。
母に骨髄線維症になった事を伝えるとすぐにその病気の第一人者の教授のセカンドオピニオンを受ける。
とても優しいお医者様で現在も経過を診てもらっています(*'ω'*)
今はこんな所です。
自己紹介〜4歳から27歳までを早送り
はじめまして!
私のブログは一応闘病?になるので病気発覚の経緯を早送りで書きたいと思います。
4歳
私の声がガラガラな事を心配した祖母がツテのある教授(かなり年配)に喉を見てもらうためカメラを入れる事に。
カメラを入れられる苦しさにハトヤの魚ばりに暴れる幼児。
なかなか入らない事に業を煮やした教授、なんと全身麻酔してカメラ入れると言い出す(笑)
全身麻酔をするにあたり血液検査をしたところ血小板が200万な事が判明‼︎
付いた病名は『本態性血小板血漿』
これは喉がガラガラとか言ってる場合じゃないといった感じで順天堂で検査入院。
ここで地獄の麻酔なしの骨髄検査を経験(((p'д`q)))しっかりトラウマに(笑)
子供の患者はほとんどおらず、いつまで生きられるかわからないという悲劇のヒロイン設定をいただく事に。
10代
可哀想な娘を母はたっぷり甘やかしてスクスク成長、小学校などではプールの帽子の色が違うなどの配慮は必要だったものの、なんの不自由も自覚症状もなく10代を過ごす。
20歳になる頃には危機意識皆無で検診すらいかない始末(ノ∀`)
25歳で結婚、一年後子供を欲しいと思い一度検診に行こうと思い最寄りの大学病院に。
血小板の値も80万ほどで他も安定してるから大丈夫と聞き妊娠、その病院で月二回検査を受けつつ自然分娩で血が止まらない等のトラブルもなくビッグベイビーを産む。
(妊娠中は色々トラブルがあったものの病気との因果はわからないので省きます。)
そして幸せに暮らしました。
…とは残念ながら行きませんでした(´・ω・`)
つづく